長時間労働に当直勤務、オンコール……勤務医の労働環境は、「働き方改革」が進む医療業界においても依然厳…

大阪、万博記念公園にある通称「民博(みんぱく)」と呼ばれる施設、ご存じの方は多いかと思います。しかしその「中身」まで知っていると言える人はそう多くないでしょう。中身とは? 展示を作る研究者たち、独特の露出展示を支える技術者や職員……『変わり者たちの秘密基地 国立民族学博物館』という突っ込み上等のタイトルの意味とは。表紙には仮面の怪人(?)たちを人力車に載せ疾走する、グローブを首にかけた男性、この正体は。―文化人類学と民族学の「けったいな」研究者たちの日常は初めて読むのに懐かしく、医療の営みとの意外な響き合いに気づかされるかもしれません。
▶「MedicalLIVES」メルマガ会員登録はこちらから
日々の診療に役立つコラム記事や、新着のクリニック開業物件情報・事業承継情報など、定期配信する医療機関向けメールマガジンです。メルマガ会員登録の特典として、シャープファイナンスのサポート内容を掲載した事例集「MedicalLIVES Support Program」を無料進呈!
展示の背景(うら)には人がいる。
EXPO’70跡地にそびえたつ太陽の塔、裏側の黒い太陽の顔を振り返る辺りから見えてくる、黒川紀章による不思議な建築物。それが「国立民族学博物館」、通称「民博(みんぱく)」です。
太陽の塔のウラには民博がある、民博の中には研究者(ヒト)がいる……それが、「展示の背景(うら)には人がいる」。この本の核をなす言葉です。
関西に育つと遠足で連れていかれる率が高めのこの博物館、独特の空間に幼少期に接して“トラウマ気味”の印象を抱いた人もいるでしょう。その展示の特徴はガラスケースに入れない〈露出展示〉の形式で距離感が近く、また世界各地から集められたクセ強な展示ブツたちが色々な意味で密度高く押し寄せます。
その数は常設展示で1万2,000点、展示に出ていない標本資料総数が33万点超と、空間の物量・情報量が半端ないこともあります。熱狂的なファン、支持者も多いクセになる空間、でもこの場所のもつ特別感の理由は他にもありそうです。
※参考までに東京・国立博物館の平常展の展示数は約3,000点。東の雄、国立科学博物館が資料数では凌駕するが、多くは筑波地区の管理研究棟で保存される
まず民博は文部科学省所管の大学共同利用機関という位置づけで、大学院機能も併せ持つ「国際研究拠点」。つまり博物館であると同時に研究所でもあり、学芸員ではなく研究者(教員)が展示を担います
この本では、民博で研究に携わる50名以上の研究者の中から選りすぐり(?)の7名の研究者たち+監修と案内役の樫永真佐夫 教授(表紙に登場)の8名を中心に、展示の背後(うら)の人々にスコープを当てていきます。

イラスト:紙谷俊平 どれが誰かは、読み進めると自然に一致してくるキャラ立ちの研究者たち
上記のイラストに集合する、7名+ 1名の研究や、来し方行く末の話。その他にも顔を出す、民博に深くかかわる職員や支える財団、保存や展示の技術の話、特別展示の進め方と、350ページに及ぶ分厚目の「民博の中の人案内」は進んでいきます。ここでは本書に登場する研究者の中でも、医療従事者の視点から読んだときに特に親しい響きをもつ3名をここで紹介します。
■ 樫永真佐夫 ― ボクサーから民族学者へ
表紙でグローブを首にかけているのが、本書の案内人である樫永真佐夫教授です。ベトナム北西部の黒タイ族を研究する文化人類学者ですが、もともとはボクサーとしてトレーニングを積んできました。
「自分の才能は、世界王者になるより作家になる方が可能性あるやろって本気で思ってたんです」
リングでもフィールドでも、人間と向き合う姿勢は変わりません。黒タイ族の村に長期滞在し、言語を覚え、葬式や祖先への儀礼に参加し、歌や語りを記録してきました。
樫永さんにとって研究は「フィールドで集めた、名前のつかない記憶や断片をも保管する営為」です。初代館長・梅棹忠夫の「民博のものの大半はガラクタや」という言葉が象徴的ですが、その“情報”こそが資料の価値を決めるといいます。
■ 広瀬浩二郎 ― 見えない世界を触って伝える
全盲の研究者・広瀬浩二郎さんは、「触文化」と「口承文芸」などを研究しています。1歳で視力を失い始め、小学校は公立の学校に通っていましたが、13歳で完全に失明しました。しかし京都大学進学後、「頑張る障害者」というお涙頂戴文脈で報じられたメディアや周囲の反応に、本人は戸惑いを覚えます。
「僕にとっては日常のことです。なぜ泣くのかわからなかった」
広瀬さんは自身の生きる世界を「disability」ではなく晴眼者とは別の「異文化」と位置づけます。その視点から企画したのが、2006年の民博での展示「触る文字、触る世界」です。仏像・楽器・道具などを触って鑑賞する取り組みで、視覚以外の感覚で世界を理解する方法を問い直しました。
これは医療にも通じます。目に見え言葉で訴えられる症状以外の、声・呼吸・沈黙といった“ノンバーバルな徴候”を読み取ること。言語化されない情報を収集し評価する姿勢であり、また視覚を含む障害とされる状態への向き合い方に、共感を覚える医療従事者も少なくないでしょう
■ 末森薫 ― 「残す」とは何かを問う保存科学者
保存科学者の末森薫さんは、敦煌・莫高窟(ばっこうくつ)の壁画から民博の33万点超の標本資料まで、その「痕跡と情報」を未来に渡そうとしています。
「保存とは、寿命までのカーブをゆるやかにするために、どうするのかを考えること。」今ある姿を保つうえで物体としての形だけでなく、使用痕なども含めた情報をどう残すのかは研究者によって線引きが変わる点だそうです。
「保存科学の原則は「ミニマム・インターベンション(最小限の介入)」、人が引き継いできたものを、なるべくそのままの形で未来に残すことを目指しています」。そして資料受け入れの基準も「値段ではなく情報」。20円の道具でも、履歴(プロヴェナンス)があれば資料になります。
これは医療記録にも通じます。カルテや症例報告、病理標本も、未来の医師たちへの”知の引き渡し”です。医師と患者の戦いの跡を、文脈ごと未来の診断と治療の手がかりとして残す――ここに保存科学との共通点があります。

目次を見ているだけでも、情報量が多い
観察と記録 ― フィールドと診察室の交差点
本書を読み進めると、文化人類学・民族学の研究と医療の実践に既視感のある構造が見えてきます。
■ フィールドノート=カルテ
観察し、記録し、問診し、仮説を立てる。文化人類学者が異文化のフィールドに入るときの緊張感は、医師が未知の症状と向き合うときの感覚に近いものがあります。何を“意味ある事実”として記録するか。
その判断には、研究者も医師も“仕事観・人間観”が問われます。
■ 「わからないまま立ち止まる」勇気 ― 医療とは違う形で
研究者は立ち止まれますが、医師は立ち止まれません。
目の前に苦しむ患者がいる以上、診断と治療を決める責任があるからです。
拙速な診断は避けるべきですが、手遅れになるケースもあります。観察だけでは済まないのが臨床です。
それでも、そこで下された診断や記録は未来へとつながります。診断のつかない症例であっても、未来への手がかりとして残すこと。ここに研究と医療の共通点が見えます。
■ 保存と継承 ― 未来への「知の引き渡し」
末森さんの「ミニマム・インターベンション」は、医療にも2つの形で通じます。
一つは、患者への身体や生活への過剰な介入・侵襲を避け、レジリエンスを見守る姿勢です。壊れやすい器を支え残すような、医学的な身体観にも通じる知見があります。
もう一つは、記録を残すこと。前段で述べたように、未来の医師への”知の引き渡し”という形です。ここでも共通しているのは、何を、なぜ残すのかという問いです。
世界を知る、人を愛するために ― あなたの診察室にもあるのかもしれない
本書の帯には大きく「みんな違って、おもしろい」と書かれています。そして右上には小さく、「世界を知る、人を愛するために」の一文。これが本書の中を小声で貫くメッセージなのでしょう。
文化人類学も医療も、突き詰めれば「世界を知り、人を愛する」営みです。異なる文化、異なる症状、異なる生き方に向き合うのは容易ではありません。けれど民博の研究者たちは、笑いながら、時に立ち尽くしながら、人間が、文化が面白くて仕方ないのです。
川瀬慈さんの言葉が響きます。
「人新世、人間は最悪だと思わなきゃいけない時代。でも、それでも人間が面白くて仕方ない」
知ることは、愛すること。観察することは、寄り添うこと。
民博の“変わり者たち”が、移り行く世界を観察し記録し続けるように、医療従事者たちもまた、日々観察し、理解しようとしています。世界を、人間を。
“秘密基地”は万博公園だけでなく、診察室の中にもあるのかもしれません。
そして展示の背後(うら)に人がいるように、診断の背後にも人がいます。
理解できないことを受け入れながら、それでも「わかろうとする」ことを続ける――それが学問にも医療にも通底する原動力なのかもしれない。
本書は350ページの分厚い一冊ですが、読後感は軽やか。知の現場が“愛”で支えられていることを、明るく教えてくれるからかもしれません。
医療現場に戻ったとき、症状の“背後(うら)”にいる人間をもう一度ていねいに見たくなる一冊です。

書誌情報
『変わり者たちの秘密基地 国立民族学博物館』
樫永真佐夫 監修
ミンパクチャン 著
四六判・352ページ
2200円
CEメディアハウス
2025年10月5日 初版発行
978-4484221311
- 提供:
- © Medical LIVES / シャープファイナンス
記事紹介 more
診療に追われる日々、服選びを「認知資源の無駄」と感じることはありませんか。けれども、ワードローブを仕…
ヒトと同じように、犬にも年齢や成長に応じた“ライフステージ”があります。その変化に気づくことが、愛犬…
大阪、万博記念公園にある通称「民博(みんぱく)」と呼ばれる施設、ご存じの方は多いかと思います。しかし…
訪日外国人客数が過去最高を記録するなか、観光地や都市部のクリニックでは、急な体調不良を訴える外国人患…
ただでさえまとまった休みの取りにくい医業、開業して経営者であればなおさらのこと。とはいえ旅の醍醐味「…
医療機関にとってM&Aは、事業承継や事業の継続・発展を実現するための重要な選択肢の一つです。しかし、…
ストレス社会の日本。なかでも医師は、人の健康・命を預かるというその性質上、高ストレスになりやすい職種…
「青春18きっぷ」と聞いて、忙しい医業の世界に入る前の長い休みや鉄路の旅を思い出す人もいるかもしれま…