豊かな生活 Quality Life

牡蠣は本当に「特別に避けるべき食材」なのか──医師のための美食とリスクの再整理

牡蠣は本当に「特別に避けるべき食材」なのか──医師のための美食とリスクの再整理

※画像はAI加工によるイメージ写真です

生牡蠣にあたった──医師同士の会話では、どこか告白めいた調子になる話題です。
2003年、国立感染症研究所のある研究者が、ノロウイルスに関する報告書でこうつぶやいています。「確かに、カキはノロウイルスの感染源となるが、ウイルスはカキで増えないのだから、カキに罪はない。十分に加熱して調理すれば、全く安全なのである。分かってはいるのだが、カキ好きはどうしても生で食べたくなる…」この言葉は、今もオンラインで見ることができます。科学者でさえ、知識と欲求の間で揺れる──この誠実な吐露が示すのは、生牡蠣をめぐる問いが、単なるリスク計算では割り切れない、人間的な迷いを含んでいるということです。

▶「MedicalLIVES」メルマガ会員登録はこちらから
日々の診療に役立つコラム記事や、新着のクリニック開業物件情報・事業承継情報など、定期配信する医療機関向けメールマガジンです。

牡蠣は特別か? リスクの「重さ」ではなく、リスクの「質」の問題

医学的なリスクだけを見れば、生牡蠣が突出して危険な食品というわけではありません。
たとえば鶏肉の加熱不足によるカンピロバクター感染は、まれながらギラン・バレー症候群という重篤な後遺症を引き起こすことが知られています。
南九州を中心とする地域では、鳥刺し専用に管理された鶏肉が流通し、独自の食文化として根付いていますが、それは処理工程や鮮度管理が地域全体で共有された「環境込み」の安全性に支えられた例外的なケースです。
他地域で加熱不足の鶏肉喫食を行うのは医学的には明らかにハイリスクであり、専門家の間でも議論の余地はないでしょう。

一方、生牡蠣によるノロウイルス感染は、多くの場合、数日で軽快します。重症化率や予後だけを比較すれば、「より危険な食材」はフグ毒、キノコ、当然ほかにも存在するのです。
それでも、生牡蠣は医師にとって、別格の存在であり続けています。その理由は、リスクの「重さ」ではなく、リスクの「質」にあります。

医師が牡蠣を特別視する理由──院内アウトブレイクへの恐怖

では、なぜ医師は牡蠣を特別視するのでしょうか。
ノロウイルスは感染力が極めて強く、医療従事者が「発症源」となって院内感染(アウトブレイク)を引き起こせば、病棟閉鎖など医療機関にとって致命的な事態を招きます。
「自分が苦しむ」だけでなく、「自分が媒介者となり、患者や職場に壊滅的な打撃を与える」ことへの恐れ。これが、冬場の生牡蠣を忌避する最大の理由であり、あたった際に「恥(プロとしての管理不足)」と感じてしまう理由です。
外科医の間では、「大事な手術の前に生牡蠣/生の海鮮は食べない」という暗黙のルールが存在する職場も少なくありません。

つまり、カンピロバクター(鶏肉は、鳥刺し文化圏以外での生食は、医療者としてあってはならない危険行為であり、知識不足を疑われかねません。
一方、ノロウイルス(牡蠣は、予後が軽いと知っているからこそ誘惑に負けた、または職責を軽視したと受け取られかねないそのような不安やうしろめたさを持っている医師は多いようです。
では、医師は生牡蠣を避けるべきなのでしょうか?

専門家はどう判断しているか

では、食品安全の専門家は生牡蠣をどう捉えているのでしょうか。
北里大学の鈴木敏之教授(食品化学、海洋生物毒)は、生食用牡蠣のノロウイルスリスクについてあえて感覚でたとえるならば「交通事故に遭う確率よりは高いかもしれないが低い仮に当たっても多くの場合は数日で軽快し、重篤化や死亡リスクは極めて低いもの」と表現します。

鈴木教授自身も「法令やルールに則って生食用として販売されているものについては、それ以上深く考えずに楽しんでいる」と語ります。つまり、生食用として適切に処理された牡蠣を選ぶことが、いわば「交通ルールを守る」ことに相当するというのが、専門家の見方です。
ただし「翌日に重要な仕事が控えている場合は食べない」とも。これは牡蠣特有の問題ではなく、仕事や社会的責任に対する体調管理の一環としての判断です
ノロウイルスは牡蠣だけから来るわけではなく、感染症は牡蠣だけの問題でもありません。重要な予定の前には、医療者や社会人として、様々な体調リスクを考慮する──その一つとして、生牡蠣も含まれるということです。

いくら気をつけても避けられないリスク(交通事故のような)も存在します。だからこそ、ルールを守った上で楽しむ──それが専門家の選択でした

産地による違いは?

前回記事(「牡蠣を食しに厚岸湾へ」)で、厚岸湾の環境について書きました。冷涼な水域、外洋性の海、昆布の森に支えられた生態系──安全性については触れませんでしたが、あえてこのエリアを選んだ背景には、環境的な特性への期待もあったことは否定しません。
ノロウイルスの主な混入経路は、人口密集地の下水由来という説が一般的です。その点、北海道東部・北部の外洋性海域(厚岸、仙鳳趾、サロマ湖、オホーツク沿岸などは、広島湾(閉鎖性海域、周辺人口約120万人)などと比べれば、人口密度が低く、潮流が強いという条件を持ちます。直感的には、こうした環境が汚染リスクを低減させる可能性はあるように思えます。

しかし、食品安全の専門家である鈴木教授によれば、こうした環境要因と牡蠣の安全性を結びつける科学的なエビデンスは十分ではありません。鈴木教授は、国の海産物安全プロジェクトに関わってきた経歴から、全国の産地に対して平等な目線と立場を持っており、その立場から見ても産地によるリスクの差を科学的に示すデータは現時点では不十分だということです。
実際に2018年には厚岸産の牡蠣による集団食中毒(札幌市で6件、68名)も発生しています。渡り鳥などの野生動物由来のリスクも指摘されており、「低人口密度=安全」という単純化は危険です。

筆者は厚岸や仙鳳趾の牡蠣で当たったことはありませんし、産地でも聞いたことがありません。しかしこれは、流通量の問題もあるでしょうし、科学的な根拠とは言えないでしょう。環境的な優位性は、あるとすれば「経験則から」「お守り程度」の認識に留めるのが科学者としての態度でしょう。
重要なのは、産地よりも「生食用」として適切に処理・検査されたものを選ぶことです。これが、鈴木教授の言う「交通ルールを守る」ことに他なりません。

インフォームド・チョイス:理解した上で、選択する

外洋の強い潮流や低い人口密度、生産現場の検査体制を理解した上で、そのリスクを自分がコントロール可能な範囲(翌日の勤務予定や自身の体調管理を含む)に収まっていると判断し、条件の揃う日を選んで牡蠣を味わう──そうした選択をする医師や科学者もいるでしょう。

冒頭の「告白めいた調子」に戻ります。生牡蠣で当たることが、直ちに医師としての恥なのでしょうか。

前出の鈴木教授は、「法令やルールに則って生食用として販売されているものを食べて、仮に当たったとしても、医療者が道義的責任を問われることはない(少なくとも自身はそう考えている)」と語ります。
自らの職責と、喫食に伴うリスクを照らし合わせず無自覚な選択をすること。それこそが、プロフェッショナルとして避けたい事態なのです。

沖縄県久米島で海洋深層水を活用した「牡蠣の完全陸上養殖」を推進するGOファームなどの続報にも期待

リードで紹介した2003年の研究者の呟き後半にある「安全なカキを食べるためには、何よりも清浄な生育環境を整えることである」……この願いから23年たった現在、検査技術は向上したものの生育環境自体に大きな進展はなく、ノロウイルスのリスクを完全にゼロにする技術は依然として確立されていません。
ただし、「清浄な自然環境」とは異なるアプローチ──完全陸上養殖フグ等の無毒養殖(餌の管理による)のように、環境ではなく管理技術でリスクを制御する可能性も、将来的には広がっています。
しかし現時点では、生食用として適切に処理されたものを選び、自らの職責や体調を考慮した上で判断することが、私たちにできることです。

かつて欧州の貴族は、毒殺を避けるために銀のカトラリーを用いました。銀はすべての毒に反応するわけではありませんでしたが、それでも「できる限りの備え」として機能しました。
医師のもつ知識や判断力も、同じかもしれません。それは完全に、ではなくともリスクを減じ自らや周囲を守る道具。いわば、あなたの銀のカトラリーです。

生牡蠣に手を伸ばすかどうかは、最終的には個人の選択です。しかし、その選択を専門性と節度という銀のカトラリーをもって行うならば、それはより豊かな人生の一部となるはずです。

 

取材協力:
鈴木敏之 教授北里大学research map
北里大学 海洋生命科学部 応用生物化学講座 食品化学研究室
マリントキシン(海洋生物毒)を専門とし、国立研究開発法人水産研究・教育機構 部門長を経て、2025年4月より現職。内閣府食品安全委員会専門調査委員、厚生労働省厚生科学審議会委員などを歴任・現任し、貝毒・フグ毒のリスク管理施策に関与。

提供:
© Medical LIVES / シャープファイナンス

記事紹介 more

生牡蠣にあたった──医師同士の会話では、どこか告白めいた調子になる話題です。 2003年、国立感染…

医師という職業は、従来「開業すれば一生安泰」とされていました。しかし現在では、医療費の減額や人材不足…

深刻な人手不足に悩まされる医療業界。スタッフの人員確保は安定経営に大きく影響します。では、一度採用し…

街中で黒塗りの高級車を見かけると、「贅沢な車に乗っている」「自己顕示欲が強いな」と感じる人もいるかも…

医師が特定の地域に偏って医療の適切な分配が行えない現状を打開すべく、国が抜本的な改革を推し進めていま…

リース物件には動産総合保険が付保されているため、万がーの事故があっても安心……ですが、補償額に限度が…

「Rの付く月に牡蠣を食べよ」という常識を、あっさり覆してくる土地がある。北海道・道東、厚岸(あっけし…

近年、医療分野でAIの活用が急速に進んでいます。なかでもAIによる事前問診は多くのクリニックで導入さ…

クリニックの開業は、多くのドクターにとって夢の実現です。しかし、どれほど綿密に練られた事業計画書にも…